nakaminai

ふたりの朝は冷めたおにぎり

 治はカウンターに置いた小さなデジタル時計をちらりと見た。20時19分。現在、店内の客はカウンターにひとり。40代半ばぐらいだろうか、細いシルバーフレームの眼鏡をかけた痩せたサラリーマン風の男性だ。短く切った髪は、サイドに少し白髪が目立ち始めている。日常の些細なおもしろ話だとか、時事問題だとか、家庭の話だとか、オリンピックの話だとか――壁にバレーボールの日本代表・宮侑のサインがかけられているのを見て話を振ってきたのだろう――気さくに話してくれる、人の好い男性だった。
 談笑しながら再び時計をちらと見るも、まだ1分と経っていなかった。治があんまり時計を気にするせいか、男性も腕時計をちらと見て「あかんあかん」と呟き、椅子の背にかけたグレーのジャケットを羽織った。
「そろそろ帰ろか、あんまり遅なったら奥さんにどやされるわ。ごちそうさん」
 気を遣わせただろうかとも思ったが、正直今日はありがたい。待ってましたとばかりにより一層にっこりと微笑んでしまった。
「ああ、そらあかんすわ! いつもありがとうございますー。……はい、おつりです」
 カウンターの内側から男性の隣に駆け寄り、釣銭を手渡しする。
「ほな、また来るわ」
「待ってますねー! お仕事頑張ってください」
「あはは、ありがとうね」
 治が木製の引き戸を開け、男性がのれんをくぐる。治ものれんを掻き分けて顔を出し、男性の背中に向かって頭を下げた。
「ありがとうございましたー!」
 顔を上げると、遠ざかる背をまるめた男性がひらひらと手を振っているのが見えた。ふう、と息をついて顔を横に向けると、店の壁にもたれて腰を下ろし、スマートフォンを顔に近づけていじくっている男が目に入った。黒のパーカーについたフードをかぶった不機嫌そうな横顔だけが、ディスプレイの青い光に照らされている。フードからのぞくハイトーンの眩しい金髪に、屈んでいてもわかるガタイの良さ。明らかにアスリートといった感じ。男は視線だけでじろりと治を見上げた。自分と同じ顔をした男の横顔を見下ろし、治は片眉を上げて笑った。
「そんなとこで何やってんねん、宮選手。予定よりだいぶ早いやんか」
 
 
 夜営業を開始する少し前の時刻、電話で「今日行ってええか」と珍しくお伺いをたててきたのだ。普段の片割れならなんの前触れもなくやってくるので、何かあったのだろうとすぐに察した。
「どないしたん、久しぶりやんか――言うて一週間ぐらいか。もちろん、店開けとるからええよ。何時?」
「何時がええ?」
「あー。まあ、9時前ぐらいにはだいたい暇になると思うわ」
「ほんならそれぐらいに行くわ」
「明日休みなん?」
「おん、休み」
「ふーん、そうか……じゃ、あとでな」
「おー」
 そっけなく通話は終わり、ディスプレイの「通話終了」の文字を治はしばらく見つめていた。
 
 
 宮選手、と呼びかけられて、侑はゆったりと腰を上げてフードを取ると、治に向かって吐き捨てた。
「やかまし! 客がはけんのおとなしいに外で待ってたんやから、えらいやろがい」
 これまでの侑ならば客がいようがいまいが関係なくずかずか入ってきて、ほかの客と笑顔で話す治をどういうつもりか面白くなさそうににらんでいるだけだったので、たしかにそれよりは遥かにましだ。あの迫力は営業妨害に近いものがある。治をにらみつけるだけならまだしも、治と談笑する客をにらみつけていることもあったのだ。
「おまえなあ……はよ来たんなら、手伝う気はないんかい」
 治は笑いながら、普段よりもだいぶ早いが「営業中」と書かれた木札をひっくり返した。表になった面には「支度中」の文字。今日の営業はこれにて終了だ。
「お疲れさん。はよ入りや」
「……おう」

 ◇

 侑は治の後に続いてのれんをくぐり、後ろ手に引き戸をゆっくりと閉めた。店の中には空腹を刺激するあたたかい匂いが満ちていた。すうっと息を吸い込むだけで口の中に唾液が溜まる。美味しくないわけがない匂いだ。
 治が手慣れた様子で最後に店を出て行ったサラリーマンが座っていたらしい席の食器を重ねて抱え、カウンターの奥へと消える。侑は迷わず片付けられたばかりのそこに座った。この席は店主である治の定位置の真正面の席だから、カウンターに隔たれていても片割れの顔がいちばんよく見えるのだ。
「テーブル、自分で拭けや」
 布巾をぽんと放ってよこされ、侑は舌打ちしながらもおとなしくカウンターを端から端まで拭いた。以前、自分の席だけ拭いたときは顔をしかめられ、「気ぃきかん成人やな……」とまるで小学生のほうが役に立つかのような言われようだったのだ。
「ほいお手拭き」
 布巾を返すと、代わりにようやく熱いお手拭きが差し出される。侑は両手を拭ってから、顔面にあてた。
「あー、生き返るわー」
「おっさんかい。なんにする?」
「えー、うーん……」
 メニューを眺めてほんの少し悩んだけれど、結局いつもの具に目が留まる。
「あー……とりあえずネギトロ」
「そうやと思て残しといたわ。みそ汁は?」
「まだええ」
「飲みもんは? なんか飲む?」
「キープあるやろ。あれ飲む」
「あー、北さんにもろた焼酎。自分で取って」
「は? 俺、客やぞ」
「は? こっちはもう閉店してんねん、いつもより早めに」
 ああ言えばこう言う。いくつになっても治とのこういうやりとりは変わらない。お互いに大人になったから、そうそう手や足が出なくなったことだけは変わった点といえる。侑はため息を吐くと腰を上げてカウンター内に入る。背面の棚に並んだボトルから自分のサインが書かれたボトルと、ついでに食器棚からグラスもふたつ取り出した。冷凍庫から取り出した氷を適当にグラスに放り込んでから席に戻る。
 席に戻り、芋煮ときんぴらの小鉢が並べられているのを見て実家でもよく食卓に並んでいたことを思い出す。
「なんかいるんやったら適当につくるけど――おっ!」
 侑の手にグラスがふたつあるのを目ざとく見つけた治が、わざとらしく手を口元にあて、もじもじしながら侑を見た。まるでぶりっこの女の子みたいな――女の子にはとても見えないけれど。
「えー、なに? 俺も飲んでええんですかあ?」
「俺がグラス出さんくても、どうせ勝手に持ってきて飲むやろ」
「フッフ、まあな」
 にやりと笑う治に肩をすくめ、グラスに焼酎を注ぐ。ひとつを治に手渡して、ひとまず乾杯した。
「お疲れさん」
「ウェーイ」
 焼酎と氷で満たされたグラスがカチ、と音をたててぶつかる。ひと口飲んで、同時に「はー」と息を吐く。
「仕事終わりの酒、サイコーや」
「な」
「なんかめんどなってきたな……閉店しとるし、もうめし握らんでもええ?」
「なんでやねん。握れや」
「ツムが俺のおにぎり食いたい言うんやったら、しゃーないな」
 にやにやとからかうように笑った治が、また一口酒を口に含んだ。数年前なら、意固地になって「誰がそんなこと言うかい!」と噛みつくところだろうが、お互いにすっかりまるくなってしまった。それに今日の侑は、治に食ってかかる気力もないのだ。無理やりに笑顔をつくりながら俯いて、汗をかいたグラスを撫でる。
「おん……サムのおにぎり、食いたいから握って」
「お? どないしたんや、しおらしいな」
「どうもせえへんわ、アホ」
「ふーん、そうか。まあ、握ったるかあ」
 治は侑の悪態にもへらりと笑ってみせるだけで、おひつを開けてしゃもじで熱々の白米をすくって手に取る。十年ぐらい前なら、いま手に持っているしゃもじを顔面に投げつけられても不思議ではないはずだ。
 治の手の中で、白米の真ん中につくったくぼみにスプーンですくった山盛りのネギトロがぽんと投入され、白米でくるまれる。リズミカルに手の中で転がされる白米が次第にかたまりになって、あっという間に三角形に形づくられていく。最後に板海苔を羽織らせて、漬物を添えて皿に載せられる。
「ほい、ネギトロお待ちー。具多めにしたったで」
「マジか、めっちゃうれしい! いただきまーす」
 まだパリッとした硬さの残る海苔を巻かれたきれいな三角形に握られたツヤツヤの米からはほかほかと湯気が立ち上る。侑が握るとこうはならない。三角形の頂点には具のネギトロがこぼれ落ちそうなほど載せられている。ふうふうと息を吹きかけて熱気を散らしながら、大きく口を開けてかぶりつく。パリリと海苔がやぶれて、ふっくらやわらかな米がつぶれ甘味がにじみ、米に混ぜ込まれた塩と混ざってお互いにほどよいうまみを引き立てる。
 はふはふと熱を口内から逃がしながら、「んー」と感嘆の声を漏らす。かじったおにぎりの断面には、みっしりとねぎとろの赤色がのぞいていて、治の言う通り普段よりもだいぶ具が多めに入っている。幸せだ。
「……っうんま、やっぱサムのおにぎりは格別やなあ」
「なんやおだてるやん、今日は。米がええんや、北さんの。しかも新米やからな」
「せやなー、それもあるけど、サムが握るからなおさら美味いんや」
「まあ、そういうことや」
 治がにっと誇らしげに、でもどこかくすぐったそうに笑う。
「まだ米あるから、食べたい具あったら言えや」
「おん」
 ぱくぱく、大きなおにぎりはどんどん腹の中に消えていく。指にはりついた米を舌で舐め取って、たくあんを一切れ口に運ぶ。パリ、パリと小気味よい音と優しい甘じょっぱさ。グラスに口をつけてぐいっと酒をあおる。グラスが空くと、治がすぐに焼酎を注いだ。
「うまい?」
「おん、うまい! 腕上げたなあ」
「料理できんくせに、何目線やねん」
 治が笑う。侑は芋煮に箸を伸ばした。
「この芋煮も、なんや……おかんのめし思い出すわ」
「せやろ。おかんに教わったからな」
「ふは、そらおかんのめし思い出すやんな」
 芋煮をもうひとくち、口に運ぶ。もぐもぐと咀嚼するところを、治が優しく微笑んでじっと見つめていた。視線はくすぐったかったが、なんとなく肩の力が抜けるような、ぐちゃぐちゃに絡まっていた心がほぐれるような、不思議な心地がする。侑は箸を置いた。
「あんな……今日、試合あったやんか」
「おう、見たで。今日のツム、全然あかんかったな。ははは」
 治が微塵の遠慮もなくストレートにズバッと切り込んだ。そう、全然だめだったのだ。めちゃくちゃ格好悪かった。だから、言いだしづらくてこうして悶々としていたのに。
「うぐ……やかましいわ! 調子悪いときやってあるわい! 人間だもの!」
 思わずわめいてぐいっと酒をあおると、治がおかしそうに笑いながらまた酒を注ぎ足した。
「なあ、チームメイトに『ポンコツはさっさとポジション空けえや』とか、言われへんの?」
 口に含んだ酒を吐き出しそうになって、慌ててごくんと飲み込む。たしか高校二年の頃だったか、そんな煽り文句を治に言った気がする。あのときは想像していた100倍ぐらい治が憤慨したので、なんとなく忘れられない。なんにしろ、いま蒸し返さなくていいじゃないか。侑は開き直ってカウンターを拳で叩いた。
「はァー? おまえ、なんやねん! 性格わっっっる! 双子の兄弟の侑クンが凹んでんねんから、『慰めたろか』とか思わへんのかい」
「フッフ、思わへんなあ。ブーメラン刺さっとるやんとしか思わへんわ」
 治は笑いながら、グラス片手にカウンターを回り込み侑にからだを向けて隣の椅子に腰を下ろした。
「なんや侑クン、やっぱり凹んどったんか」
「凹んでへん」
「いやさっき凹んでる言うてたやん。別に恥ずかしいことちゃうやろ」
 侑は俯いて黙りこんでいた。無言のまま時間が流れていく。治も辛抱強く黙って隣で待っていた。そして意を決して、侑は口をひらく。
「……プレーもあかんかったけど、今日はスベりまくったんや……試合前に控え室で空気あっためたろ思たら微塵もあったまらんし、ヒエッヒエになったことにすら俺しか気づかへんありさまやったわ……翔陽くんは相変わらず気ィ遣て『侑さん、おもしろいですうー』言うてくれるし……そんなんおもろないってことやろ! て感じやん。ナイフでぶっ刺されるんと変わらへんで」
「はは。おもろ」
 まくしたてた侑に対して、治が口にしたのはたったそれだけ。しかも目が笑っていない。侑は思わず「それが腹立つねん!」とわめいた。
「まあ、ええやんか。長い人生なんやから、うまくいかへん日だってあるわ。たまたま今日は調子悪かっただけやから、あんま気にしなや」
 侑は治から視線を外し、カウンターに突っ伏した。治が励ましてくれるのは嬉しいはずなのに、ぐにゃぐにゃになった気持ちがなかなか元に戻らない。
「……んー」
「なにぐずってんねん。子どもか」
 治のあたたかな手が侑の頭に伸び、せっかく格好良くセットした金髪をぐしゃぐしゃに乱しながら撫でる。セットを崩されるのは本当は嫌だけれど、治の手のひらに撫でられるのは好きだ。それに今日はもう外に出る予定もないし、セットが崩れてもいいか。侑は顔を横に向けて、治を見上げた。微笑んだ治が「どうした」と問いかけるように小首をかしげる。
「サムはデカなっても優しいなあ……」
「そうか? ……まさか記憶喪失なった? 自分で言うのもなんやけど、あんまりツムに優しいした覚え、ないねんけど」
 むっちゃ喧嘩したし、ボコったし、と付け加える。たしかに、治とはよく喧嘩をしたし、中学生になったあたりから喧嘩も激しくなった。取っ組み合いの喧嘩に発展するのはいつものことだし、そうなるとだいたい侑のほうが派手なけがをする。両親にもいつからかけがを心配されるより「侑、喧嘩弱いなあ」と呆れられた。「手加減ができるかできないかの差でしかない」といまでも侑は思っているが、もう取っ組み合いはしたくないところだ。
「せやなあ……お互い様や。言うていざというときは、優しいやん。いまとか」
 治が照れくさそうに、ぎこちなく笑う。
「おまえ、だいぶ酔うとんな。まあ、ツムはどうしようもない人格ポンコツクソ野郎やけど、おかんの腹の中から一緒におる兄弟やからな。見捨てんのも、後味悪いやろ」
「おい、言いすぎちゃうんか」
 慰められているのかけなされているのかわからなくて、侑は頬を引きつらせた。治が意地悪そうににやっと笑って「冗談や」と言った。それから優しい笑顔に変わって、穏やかな声音で続けた。
「ちゃんとわかっとる。ツムはバレー愛しとるからな。次、ボール触るときは大丈夫や。スベり芸の具合は知らんけどな」
「スベり芸ちゃうねん、スベりたないねんて」
「どうでもええわ。芸人としてはポンコツやけど、バレーはあと20年は現役でおるやろうし、ええやろ」
「20年て、40歳過ぎとるやんか。どうやろなー」
「なんや、そこは自信持てや。自分天才やったんちゃうん。ちゅーか、引退したら生きていけるんか? ツムが一般の社会人として仕事してるとこ、全然これっぽっちも想像つかへんな。なんやおもろいわ」
「せやねん、実は俺も自分で想像つかんのやんか。せやから、引退したらサムが面倒見てやあ……なんてなー」
 頬杖をついて、冗談めかしてへらりと笑う。治も鏡のように頬杖をついて侑を見つめていた。治の口角の上がった唇がひらいて、言葉を発する。たった3文字だった。
「ええで」
「フッフ、ホンマおま……えっ、は?」
 侑は大きく目を見ひらいて、素っ頓狂な声をあげた。あまりにも、頭のなかで想像していた展開とちがいすぎる。「なにアホ言うてんねん」と笑い飛ばされる予定だったのだ。それが「ええで」と承諾した――気がするが、聞き間違いか、夢でも見ているのではないか。侑は石のように固まっているあいだに、頭のなかでぐるぐる考えてパニックになっていた。
「いや、自分で言うといてなんや、その反応は。『ええで』言うてんねん。寝とんのか?」
「……ええの?」
 ぽかんとしてもう一度念を押すと、治がもう一度、「ええで」と繰り返した。どや、と言わんばかりになぜか勝ち誇った顔をして。侑の反応を楽しんでいるのかもしれない。侑の胸に歓びとか、興奮とか、幸福とか、いろいろな感情がないまぜになって、えもいわれぬ感情がぶわりと膨れ上がる。侑は両手を広げて、がばりと治に抱きついた。
「サムー! 好きやあ……めっちゃくちゃ好き! チューしよ」
 治の答えも聞かずに、ちゅっ、ちゅっ、ちゅっと3回、音をたててくちびる同士をくっつけるだけのキスをする。治は突然のキスにぎゅっと目を閉じてあごを引き、「んー」と不服そうな唸り声をあげた。
「ンむ……っ。フッフ、知っとる。現役引退したらおにぎり宮のイケメン枠として働いてもらおか」
「おん! めっちゃ働く、約束な。サム、ありがとお、愛しとるー」
 目を閉じてくちびるを突き出すと「はいはい、キスな」と呆れたように言った治が、リップ音をたててキスをしてくれた。フッフ、とご機嫌の笑い声を漏らして、もう一度治をぎゅうっと抱きしめると、治が背中をさすった。こうして抱き合っているだけで幸せだ。それは事実ではあるが、侑は昔から欲張りだ。それに、恋人のからだに触れたい欲求はごく普通のことのはずだ。頭のなかで誰にともなく言い訳をしながら、侑は治の耳元でささやいた。
「なあ、今日、せえへん? あかん? ええやろ? しばらくやってないやん。店の片付け手伝ったるから」
 抱きしめたまま、背中を上から下へ、するすると撫でると、治がくすぐったそうに身をよじる。
「……いや、当たり前や、普通に手伝えや。あーあ、心配して損したわ……しゃーないなあ」
 治はやれやれと言いたげなため息をついて、ぽんぽんと侑の背中を叩く。承諾と受け取って、侑は治を抱きしめる腕を緩めた。満面の笑みを浮かべて、治の少し赤らんだ顔を見る。
「フッフ……俺は知ってんで。インスタ見たもん」
「インスタ? 知ってるて、何が?」
「勝手ながら明日は夜のみの営業とさせていただきます、て書いてたやん。ホンマは期待してたやろ。ん? 朝起きれへんぐらいのやつ期待しとるん?」
「おまえ、ホンマに……ヤることしか頭にないんかい。たまにはのんびり、一緒にだらだらしたろて思てただけやし」
「せやなあ。明日はだらだらしよな。でも今夜はだらだらさせへんで」
 治の肩に手を回して抱き寄せて、頬にキスをする。目を伏せた治の頬が赤く染まっているのは酒を飲んだせいなのか、それともこの後のことを想像したせいなのかはわからない。
「メシ食い終わったら掃除してや」
「おん! ごちそーさまでした! 掃除するわ」
 勢いよく手を合わせて、椅子を弾き飛ばすように立ち上がると、治が「いや早っ!」と声をあげた。侑は構わず店の奥から持ってきたモップで、手際よく床の掃除にとりかかる。
「今までうだうだしてたん何やったん、マジで……ほな掃除頼むで。俺はおにぎりつくるわ」
「まだ握るんか。閉店したんとちゃうんですか」
 モップの柄に手を置いて、カウンターの中に引っ込んだ治を見る。
「アホツム、明日の朝めしや。朝つくるん絶対ダルいやん、何のために半日休むんかわからへん。梅、昆布、鮭、おかか、ツナでええか。おかずは冷蔵庫に入っとるから、腹減って目ぇ覚めたら勝手に食いや。せやから明日は起こすなよ」
「起こさへん! 俺もサムが起きるまで寝とる!」
 手を挙げて自信満々に宣言すると、治が苦笑いした。
「そういう意味やないねん」
「一緒にごろごろするんやろ。明日はずーっと、サムといちゃいちゃごろごろすんねん」
「増えてるやん、なんか。いちゃいちゃは言うてないねん」
 いちいちツッコむくせに、米を手の中で転がしながら、まんざらでもなさそうにいつもよりもだらしなくふにゃりとした顔をしている。
 ――こいつ無自覚なんかな、わかりやす! かわええやん!
 思わず眉を下げて笑うと、治もつられるように笑った。
「なんや」
「サム、かわええなーと思ってん」
「ツムも酔うてるとき、デレデレしとってかわええよ」
「なんなん、はずいわ」
「俺もや。ええからはよ掃除して風呂入ってヤろうや」
 言い方、ムードないわ、と心の中でつぶやいて苦笑する。しかし、こういうのが自分たちらしい。それに早く治を抱きたいのも事実なので、侑はいままでにないほどてきぱきと掃除をして皿洗いまでこなし、治にいたく感心された。「普段からこれぐらいちゃっちゃとやってくれたらええんやけどな」とチクリと針で刺されたけれど。


2022.05.02