nakaminai

好きがきらきら光るんです

 この日のおにぎり宮は夜の営業を休業していた。おもてには「準備中」の札がかかり暖簾も下げられているが、すりガラスのはめられた引き戸からは明かりが漏れ、店内からは陽気な笑い声が響いている。
 表向き休業としているが、実際は稲荷崎高校OBによる貸し切りだった。店内には店主の治、侑、角名に銀島がいた。同学年であり、ともにチームのレギュラーを務めていた仲間である。それぞれの道を進んだいまも、都合があえばこうして集まっては学生の頃と同じように他愛もない話をする、いい関係が続いている。
 侑と角名と銀島はテーブル席に座っているが、治は厨房にほど近いカウンター席に座り、テーブルの上の酒がなくなったり、料理が少なくなったりするのに目ざとく気づくたびに席を立ち、こまごまと動き回っていた。座っていない時間のほうがはるかに長いぐらいだった。
「治、もうええ加減落ち着いて座れや」
「そうだよ。客だと思わなくていいって言ってるのに」
「いや、なんかしみついてしもてんねん。なんや動かんと落ち着かへんから気にせんといてくれ」
「いやいや、気になるでしょ」
「ほら、もうみんな腹いっぱいや。メシつくらんでええから座れて。見てみい、侑なんかもう潰れとる」
 銀島があごでしゃくって侑を指す。たしかに片割れは、両腕をだらりとからだの横に垂らして、テーブルに顔面から突っ伏していた。広い肩はゆっくりと上下しているから、呼吸はしているらしい。
「ぶっ……侑、今日潰れるの早くない? どうしたの」
 角名が笑って、正面からスマートフォンのカメラを向ける。カシャ、とシャッター音。きっとほどなくして角名のSNSにこの写真がアップされるのだろう。それにしても、たしかに普段よりも潰れるのが早い。疲れていると酔いが回りやすいというし、そのせいだろうか。何も考えていないような顔をしている片割れだが、一応現役アスリートであり、毎日のように激しい運動をしている。疲労がたまっていたのかもしれないし、たまには労ってやるべきだろうか。治がぼんやりと考えているかたわらでシャッター音の直後、突然何かのスイッチが入ったようにがばりと侑が頭を上げ、きょろきょろと周りを見回した。
「なんや今、写真撮らんかったっ?」
「気のせいでしょ」
 言いながら、薄ら笑いの角名が再びスマートフォンを侑の真っ赤な顔に向ける。カシャ。
「え、いま撮った?」
「撮ってないよ」
 よくもまあ堂々とシャッター音を響かせておいてさらりと嘘がつけるものだ。治と銀島が頬を引きつらせるのも気にせず、当の侑はあっさりと頷いた。
「ならええわ」
「いや撮ってるやん!」
 思わずツッコミを入れてしまったが、角名は肩をすくめるだけだった。銀島は大口を開けて笑っている。渾身のツッコミもろくに耳に入らなかったのか、侑は横に立っている治に気づき、重たそうに半分下りていた瞼をぱちりとひらいた。
「サムう! いつまでうろうろしてんねん、はよ座れや」
「その話、さっき俺らがしたで」
 銀島が焼酎のグラスを傾けながら苦笑する。侑は治を見上げ、ばんばんと隣の椅子を叩くので、ため息をついた治はカウンターから自分のグラスを取り上げ、片割れの隣に腰かけた。テーブルに置いたグラスに、銀島が焼酎を注ぐ。
「はいはい、隣に治が座りましたよー。嬉しいですか?」
「うれしいー!」
 スマートフォンを構えた角名に向かって、侑が無邪気に破顔する。それを眺めた銀島が「幼稚園かい!」とツッコんだ。酔いが醒めた後、この動画を見た侑がどんな反応をするか楽しみだ。
 満面の笑みで角名にサービスをした侑が、今度は口を尖らせた。
「せっかく隣あけとんのに、こいついつまで経っても座らへんから」
「ねー、そうだねー」
 小さい子に話しかけるように角名が言う。完全に角名と侑の間だけ幼稚園の空気だ。角名の隣で銀島が眉を下げて笑った。
「俺らさりげなく席指定されたもんな」
「『角名と銀奥行ってええよ』ってね」
「行ってええよっちゅーか、行けって感じやったな」
 治はじろりと横目に侑を見た。侑は悪びれるでも恥じるでもなく、してやったりとばかりににやりと笑った。
「フッフ、バレた? やって、サムの隣がええもん」
「『もん』ちゃうねん。ツム、だいぶ酔うとるな。水持ってくるわ」
 治が立ち上がろうとしたところを、横から侑が腕を強く引く。椅子に引き戻されてぺたりと尻餅をついた治は侑を睨んだ。
「いらんいらん! いらんから座っとけて」
「ああ? おまえのために持ってきたる言うてんねん」
「いい、いい。治は座ってなよ、俺が持ってくる。水ぐらいは任せて」
「……すまん」
 角名が侑のグラスを手に席を立ち、厨房に消えていく。銀島も「ちょっとトイレ」と席を立ち、テーブルには侑と治のふたりきりがぽつんと取り残された。治の腕は、未だに侑が握り締めている。
「……ツム、酔いすぎやで。ようけ飲んだんか?」
「そんなに飲んでへん」
「説得力ないわ。めっちゃはしゃいどるやん」
「そんなことないし」
 腕を締め付けていた侑の手がゆるんだ。その隙に治は侑の手を逃れ、手持ち無沙汰の両手をテーブルの上のグラスに添えた。汗をかいたグラスの中で先ほど銀島が注いだ焼酎がなみなみと揺れている。落ち着かない。自分も酔いが回ってしまったのかもしれない。
「サぁム」
「なんや、ツム」
「フッフ……」
 侑は意味ありげに笑みをこぼすだけで答えない。
 侑の手が蛇のようにテーブルを這って、治の手に近づく。手首から手の甲を撫でて、指を一本一本絡めとるようにして指を撫でる。ひんやりしたグラスから剥がされた手に侑の手が重なり、指と指の間に指を差しこまれて、握りこまれる。あつい。すりすりと煽るように繰り返し撫でられる。絡み合う指先から、侑の顔を視線を移す。瞳が一瞬、金色にきらりと光る。侑はいとおしいものを見るように目を細めて、艶やかに微笑んだ。
 この表情が苦手だ。双子の兄弟という関係性だけだった頃には見たことがなかったそれ。こんなふうに愛情と情欲を滲ませた瞳は、生まれた時から一緒にいる片割れに向けられていると思うと未だに照れくさかった。
「……なんや言うてんねん」
「んー? サムやなあ思てるだけやで」
 侑はにこにこと笑いながら、さっきから右へ左へからだがゆらゆらと傾いでいる。やはりだいぶ酔っているようだ。
「なに、そういう顔なん、それ」
「サム何言うてんのかわからへん」
「俺もツムが言うてることわからへん」
「なあ、チューしてええ?」
 唐突な問いかけに、治は言葉に詰まって視線を泳がせた。構わず、侑はからだを傾けてふたりの間を詰め、顔を近づける。唇に吐息がかかる。酒くさくて熱い。つい流されかけた治だったが、はっとして顔を背けた。
「……あかん」
 侑が不服そうに眉をひそめる。
「なんで?」
「角名と銀おるやろ」
「おらんやん」
 侑が空っぽの椅子を指さして言う。たしかにいないが、角名は水を取りに、銀島はトイレに行っただけなのだ。
「戻ってくるから」
「えー。ケチサムや」
 拗ねたように口を尖らせた侑は、治の手を引き寄せて指先にくちびるを押しつけた。どきりと心臓が跳ねて、指先が燃えるような熱を帯びる。治だって我慢しているというのに、この片割れは困った恋人だ。頬が熱い。酒のせいか侑のせいかはわからないが、侑のせいにしよう。治は上目遣いで侑を睨んだ。
「ずるいで、それ」
「何が? サムもしたらええやん。どこでもチューしてええで。ほれ、どこにする?」
 侑がにたりと笑って、しなだれかかってくる。
「おでこ? ほっぺ? 口? 首とか指とか、腹でもええよ。でもやっぱ口がええかなあー」
「せやから、角名と銀戻ってくるから――」
「むしろさっきから席に戻れないんだけどね」
「黙っといたれて!」
 ばしん、とおそらく角名をはたいた音。ぴたりと治のからだが強張る。侑は治の手を握ったままへらへらしながら振り向き、治は岩石のように硬くなった首をようやく回して振り返る。カウンターに座っているのは「邪魔してすまん!」と手を合わせる銀島と、スマートフォンをこちらに向けてにやにやと悪魔のような笑みを浮かべる角名だった。


2022.05.29