nakaminai

ライフ・イズ・ハッピー

 治とは、生まれる前から一緒にいる。物心つく頃から一緒とか、家族ぐるみの付き合いとか、ひとの話を聞くたびに「そんなもんがなんぼのもんじゃい」と思う。侑と治は母の腹の中からずっと一緒の、正真正銘の兄弟であり家族だ。どんな関係よりも強くて誰より互いを理解している、大事な大事な片割れ。

 16年生きてきて、片割れの存在に幸せを感じる日と顔も見たくない日、果たしてどちらが多いのだろう。

 ピピピッ、ピピピッ、ピピピッ――。アラームが鳴る。
 朝5時半。夜ふかしをかっこいいと思って深夜まで起きている高校生にとっては早すぎる時刻だ。侑は昨日も1時まで起きていて動画サイトを眺めていた。バレー部の朝練があるせいでニワトリしか起きてないような時間に起きなければならないなんて、ひどい拷問だ。以前部室で嘆いているのを北に聞かれ、「5時半は普通の人間もようさん起きとるで」と真顔でツッコまれた。たしかに、侑と治の母親も土日以外はすでにキッチンに立っている。
 頭までかぶった布団から手だけを出し、けたたましく鳴り響くアラームを止め、そのまま力尽きた手がぱたりとシーツに落ちる。まぶたが重くて開かない。
「うー……」

 ――あと5分だけ寝たい。ええかな。ええか、治が起こしてくれるやろ――。

 風のない湖に浮かぶ小舟でゆらゆら揺られるような心地良い気分で再び意識が霧散しかけたところで、さっきまで接着剤で固定されていたとしか思えないほどに固かったまぶたがぱちりとひらく。ひとの気配がない――つまり、侑の眠るベッドの下に片割れの気配を感じないのだ。侑は布団を蹴飛ばして跳ね起き、身を乗り出して下段のベッドをのぞきこんだ。
「サムっ?」
 ベッドはもぬけの殻だった。意識がはっきり覚醒したとともに、からだや頭、さまざまな場所が痛むことを思い出す。「ここが痛いですよ」と教えるように、湿布や絆創膏があらゆるところに貼られていた。服で隠れるところならともかく、顔面にまで及んでいるのだからどうしようもない。言うまでもなく、昨日、部活が始まる前に治とつかみ合いの喧嘩をしたせいだ。

 侑は慌てて支度――その合間に治に何度も電話をかけたり、メッセージを送ったりしたが、すべて無視された――をし、朝食のトーストを咥えて家を飛び出した。いつも通り、なんなら普段のように治が起こしてくれるより早いアラームに合わせて起きたのだから朝練に遅刻するはずもない時刻だ。それでも、なんだかひとりは落ち着かない。中学生の頃からそうだ。日直だからと治が普段より一本早いバスで登校する日も、今日みたいな気持ちになった。治の顔を見ない朝は、言いようもない不安が胸に渦巻くのだ。
 不安に急かされるようにバス停までの距離を汗だくになりながら走った。走ったのに、結局乗ったのはいつもと同じ時刻のバスで、侑はがくりと肩を落とした。
 適当な座席にぺたりと腰を下ろしてぐったりしていると、同じ路線のバスで通学している尾白アランがあとから乗ってきた。ちょうど空いていた侑の前の座席に腰を下ろす。
「おーす、侑」
「アランくん! おはよお」
「なんや、昨日から男前やな」
 尾白がにやにやと、自分の顔を指さして言った。湿布や絆創膏のことを言っているとすぐにわかり、侑は「いつも男前やろ」と目を細めた。
「まだ腫れ引かへんの?」
「あいつ、手加減知らんからな。俺よりおとなしいとか言われよるけど、そういうヤツほどキレたらやばい言うやろ」
「まあ、言うても治は侑にしかキレんからな……そんで、今日は治、一緒ちゃうん? 珍しい」
「あいつ、朝起きたらおらんかってん。先学校行ったんかな。電話しても出えへんねん! 腹立つやろ、ホンマひとでなしやわ。せめて先行っとるでぐらい言うてくれてもええやん!」
 憤慨する侑を見て尾白は何か察したらしく、呆れたように眉を下げてため息をついた。
「まだ仲直りしてないん? それで治が侑の顔見たないわーって、黙って先学校行ったってこと? 昨日もそういえば、ひとりで先に帰ってもうたよな」
 昨日の放課後の部活が終わった後も、侑が銀島と尾白と話している間に治はひとりで帰ってしまっていた。家で顔を合わせてからも、一言も口をきいていない。
「知らんわ、あんなクソブタのことなんか。ちゅーか、学校おらへんかったらどうするん」
 そう、もし、悪い大人に捕まって、誘拐されていたり、どこかで事故に遭っていたり、川に落ちたとか、海に落ちたとか(通学路に海はないが)……。まずは学校にいるならいいのだ。言いたいことは色々あるが、治がちゃんと生きている姿を見てからでいい。
 侑の真意が伝わっているのかいないのか、尾白は怪訝そうな顔で侑を流し見た。それからまるで母親みたいなことを言い放つのだった。
「どうするて、知らんけど……おるやろ、普通に……お前ら、兄弟なんやし高校生やろ。ええ加減、仲良うしいや」

 学校の最寄りのバス停が近づき、バスが減速を始める。侑はバッグを担いですぐさま立ち上がる。
「アランくん、先行くで!」
「はいよ。車に気ぃつけや」
 バスが停車してドアがひらくと、勢いよくバスを飛び出した。
 ――なんで朝練前から、こんなに走らなあかんねんっ! それもこれも、サムのせいや!
 侑は心の中で治に罵詈雑言を吐きながら、制服や各部活のジャージを着た生徒たちを次々と追い抜き走った。校門をくぐり、まっすぐに部室棟へ向かう。
 部室のドアを力いっぱい引き開ける。室内には何人かの部員がいて、一斉に侑を見た。後輩たちが一斉に挨拶をしたが、いまの侑にとってはどうでもいい。壁にずらりと並んだロッカーに囲まれるように設置された長椅子に治が座っているのを見つける。治の顔面は、切れた口の端と爪があたってできたこめかみの引っかき傷に絆創膏を貼った程度のもので、頭突きを食らった額と拳で殴られた頬に湿布を貼っている侑よりは明らかに軽傷だ。ドアのひらく音に顔を上げた彼は、やって来たのが侑と見るやあからさまに顔をしかめたが、それでも治の姿を見つけたことに侑の中の不安はじわりと解けていった。
 しかしほっとしたのも束の間で、遅れて苛立ちが沸き起こる。
「おい、なんで先行っとんねん、クソサム」
「俺の勝手やろ」
「起こせや!」
「ハァ? 5時に起こしたところで侑クンは起きるんですかあ?」
「起きるかどうかは別や」
「なんやそれ、ドヤるとこおかしいやん。どうせ5時半にアラーム鳴るやろ」
「そうやけど、なんで声かけんと行っとんねん」
「当たり前やろ、一緒に学校行きたなかったから早起きしたんやん」
「はあ!?」
「なんやねん、文句あるんか」
「喧嘩か?」
 険悪な空気をものともせず、侑の後ろからぬっと主将の北が現れる。ビクッとからだを縮こまらせた双子はぴんと背筋を伸ばして起立し、腰を直角に折った。
「いいえ! はざーす!」
「おはよう。ほんならええわ。昨日の今日やしな。貴重な朝練の時間をお前らの喧嘩で潰されたんじゃみんな迷惑や。ランニング行くで」
 北が踵を返し、侑はほっとしていつものくせで治に向き直る。ばちりと目が合って、はっと喧嘩中であることを思い出した。治は立てた親指をぐるりと回して地面に向けた。「くたばれ」のジェスチャーだ。
「ぐぬう……ク、クソサムッ!」
 小声で悪態をつくが、治はふんと鼻を鳴らして横を通りすぎた。殴りかからなかっただけでも褒めてほしい。ここで手を出したら、間違いなく北にめちゃくちゃに絞られるのだ。

 朝練の校外ランニングは、双子がいつも以上にペース配分を考えずに先頭で小競り合いを繰り広げ、結局同時に学校に戻ってきた。「俺のほうがつま先が先に学校の敷地入った」「いや、俺の指先が先やった、俺のが手足長いし」「手足の長さは一緒や!」と争ったが、当然写真や映像が残っているわけでもなく、判定は不可能だ。
「かけっこやないねん、知っとると思うけど」
 朝練前よりも低くなった北の声が背後から地を這って響き、双子はびくりと肩を縮めて「ハイ!」と元気よく返事をしたが、やはり互いに睨み合って顔を背けるのだった。

「侑。仲直りせえへんの?」
 朝練のあと、教室で銀島が侑の隣の机に腰掛けて言う。侑は目を細めて、じろりと銀島を見た。
「仲直りィ?」
「珍しいやん、日またいで喧嘩するやなんて」
 いっつも次の日にはフツーに話しとるやんか、と続ける。たしかにそうだ。日をまたいでもまだ怒っているなんてどれだけしつこいのか。侑からしても、今までと比べたって大した喧嘩じゃないのだからとっとと仲直りしろ、とひとごとのように思う。
 侑ははあ、とため息をつき、気だるそうに椅子の背もたれにぐたりと背を預けた。
「……サムがウイイレ誘ってきたら仲直りの合図なんや。今回はまだ誘ってこんからしてへん」
「ウイイレでしか仲直りできんのかい。難儀な双子やな……」
 銀島は苦笑いを浮かべた。それから「あ! せや!」と名案を思い付いたとばかりに指を鳴らした。
「ウイイレしたら仲直りできるってわかってんねやったら、フツーに侑が誘えばええ話やん。な?」
「絶ッ対いやや! なんで俺があんなクソブタ誘ったらなあかんねん! 俺から誘ったら、俺が仲直りしたいみたいやんけ!」
「え、実際仲直りしたいやろ? ちゃうんか?」
 銀島が困惑の表情を浮かべる。完全に善意でアドバイスしたつもりなのだから、それも当然だ。侑は頑として教室中に響き渡る声で怒鳴った。
「いやや! いらん! サムが『ウイイレやってくださいお願いします』言うまで仲直りせえへんっ!」
「そ、そうか……強情やなあ……まあ、頑張りや」
 銀島はどこか項垂れて、自分の席へ戻っていくのだった。

 侑が「サムが『ウイイレやってくださいお願いします』言うまで仲直りせえへん」と息巻いてたったの数時間後。昼休みを終えて5時限目の授業を終えた休み時間。侑は机にぐったりと突っ伏していた。死体のようにぴくりとも動かない様を心配したのか、銀島がおずおずと声をかけてくる。
「侑、生きとるか? ちゃんとめし食うたんか?」
「……食うた。パン」
 いつも宮兄弟と角名と銀島の4人で集まって昼食を食べているのに、今日は治の顔を見たくないからと言って侑だけ別で過ごした。溶けたようにべたりと突っ伏したまま、ぼそりと声を発した。
「なあ。……サム、なんか言うとった?」
 銀島が「えっ」と答えに詰まって口籠る。それこそが答えも同然なわけだが、銀島は律儀に侑を傷つけない言葉を探しているのだろう。一応、念のため最後まで聞いてやるが、たぶんいい方向にはいかないのはさすがに侑でも予想がつく。
「あー……いやー……侑の話には、ならんかった……な」
 案の定といった証言に、侑はがばりと顔を上げた。
「ッハァー! ホンッマあいつ、ポンコツやな! なんか言うことあるやろがいっ!」
 ガタン! と椅子を跳ね飛ばして立ち上がった侑は、教室から飛び出した。
 向かったのはすぐ隣の2年1組の教室だ。開け放たれた後方の扉に手をかけ、教室をのぞきこむ。
「おいっ、クソサム!」
 威勢のいい声に教室中が振り返って、クラスメイトの治と同じ顔をした侑に視線が集まる。黒板に向かって左から3列目、後ろから2番目の席が治の席だ。侑と同じように机に突っ伏していた治がからだを起こし、眉間に深いしわを刻んで侑をじろりと見る。
「なんじゃクソツム」
「そろそろウイイレ誘えや、ボケッ!」
「あぁ!?」
「ウイイレ?」「なんでウイイレ?」「双子、かたっぽハブられとん?」と教室がざわつき始める。治は構わず、じっと侑を睨んでいる。
「うちでもムスッとしよって! お前のせいでずうっと、全ッ然、楽しないやんけ!」
 双子は依然、睨み合っている。治は未だに何も言わないが、代わりに後ろの席の角名がいじっていたスマートフォンから侑に視線を移して口をひらいた。
「……棚上げ得意だよね、侑って」
「ア!? 角名、お前、サムの味方するんか!」
「味方って。別にそういうんじゃないけど。俺はどうでもいいし」
 平然と言ってのけた角名に、今度は治がなぜか角名に噛みついた。
「いや、どうでもようないやろ、お前は俺の味方せえや! おんなしクラスやろが!」
「こんなの普通に巻き込まれたくないでしょ。でもムスッとしてるのは侑もだから、どっちもどっちじゃね? て思っただけ。練習でも空気悪いし」
 そう言って、また針で刺すような目つきでちらりと侑を見る。侑は言葉に詰まった。
「グヌゥ……!」
 旗色が悪い、どうしたものかと思っていたところに、ちょうどよく次の1組の授業の担当の英語教師がやって来た。侑と治を交互に見て「おお」ともの珍しそうに声をあげる。
「なんで双子揃ってんねん。授業始まんで、片方ははよ隣のクラス帰りや」
「くそーっ! 覚えとれよ、サム!」
 捨て台詞とともに踵を返す。
「それ悪役の台詞やん」
「やかましいわっ!」

 *

 侑がしぶしぶ自分の教室に戻った後。治が額を押さえながら深いため息をつくと、後ろで角名がふっと息を漏らすように笑う声がした。
「何わろてんねん」
 がばりと勢いよく振り返ると、角名がにやにや笑っている。
「侑って棚上げは得意だけど、甘えるのは下手だね」
「……」
「要するに、治と仲直りしたいんでしょ。してやれば? 侑より治のほうが大人なんだし」
 わざわざ隣の教室に来て、子どもみたいに喚いて嵐のように去っていった片割れの姿を思い出す。

 ――うるさいし、自分勝手やし、腹立つし、結局言い返せんようになって、ダサいし。ホンマにポンコツや。おかげで俺まで恥かいた。そもそも、ツムが悪いのになんで俺が歩み寄ったらなあかんねん。

 けれど、あのポンコツを嫌いにはなれない。昔から、ポンコツだとわかったうえで大好きなのだ。変な話だけれど。
 授業開始のチャイムが鳴る。治はまたため息をついて、前に向き直った。
「双子やぞ。どっちが大人とかないわ」
 ぽつりとつぶやくと、角名はまたふふふと声を漏らして笑った。
「それもそうだ」

 ◇

 放課後がきた。つまり、部活の時間だ。ようやくボールに触れる。いつもなら幸せしかないはずの時間だが、今日は少し憂鬱だ。治と顔を合わせなければならない。侑と喧嘩をしているからといって治が部活を休むことはないだろう。侑も同じだが、「なんでお前を避けるために俺が部活休まないかんのじゃ」と思うからだ。練習着に着替えて、侑は体育館に足を踏み入れた。一年生が床を磨いたりネットを設置したりとコートの準備をしている。その中に、なぜか2年生の治がいた。治は侑の姿にすぐに気が付き、まっすぐにこちらへ向かってきた。
「おい、ちょっと来い」
「あ?」
 侑の腕を掴み、有無を言わさず歩きだす。治が向かったのは、第2体育準備室だった。バレー部の備品が主に保管されている場所で、いまは部活のために全部運び出されているから少し広く感じる。侑を連れて中に入った治は、重い引き戸を数センチだけ隙間が開く程度に閉め、更に影に隠れるように侑を奥の壁際へ追いやり、逃げられないよう壁に手をついた。数センチの隙間から光が差し込むだけの暗い室内では治の表情もよく見えなかった。
「なんやねん、こんなとこで」
「休み時間のあれ、なんなん」
 侑は目をまるくした。あれとは、と考えて、すぐに5時限目の後の休み時間の「ウイイレ」の話だと思い当たる。
「……言うたとおりですけど。言うてええで、乗ったるわ」
 侑はなおも優位を崩すまいとあごを引いてにやりと笑った。暗闇に慣れてきた目に、治の表情がうっすらと浮かび上がる。彼は無表情だったが、すぐに侑と同じ顔で口角を上げてにやりと笑った。
「なんや、寂しなったん?」
 侑は言葉に詰まった。正直なところ、図星だからだ。それを認めてやるほど素直ではないけれど。
「……うっさいわ! 全然寂しないけど、寂しかったら悪いんか!」
 侑が喚きたてると、治は愉快そうに肩を揺らして笑った。
「フッフ。まだ一日しか経ってへんのに、こらえ性ないやっちゃなあ」
「寂しないて――」
「今日ウイイレやるか?」
「言っ――え……やる」
 意外にもあっさり「ウイイレ」という言葉が出て、侑は呆気にとられながら頷いた。激しい喧嘩を繰り広げていたはずなのに、いつのまにか治の表情からは険が消えていて、やわらかに笑っていた。
「おん、じゃあ帰ったらやろ」
 そのまま解放されるかと思ったら、治は壁に手をついたまま、顔を近づけてくる。「あっ」と思ったときには、もう唇にやわらかな感触が押し付けられていた。治の唇だ。頭が真っ白になっているうちに、下唇をちゅっと音をたてて吸い上げ離れていった。
「一日キスできんかっただけで、口寂しかったんやろ?」
 暗闇のなかで、治が艶やかに唇をしならせて笑う。そんな顔はずるい。体温が上がって、鼓動も激しくなる。ドキドキする。侑は治の視線から逃げるように視線を俯けて、口をとがらせた。
「……それ、ホンマはサムのほうなんちゃう」
「ハァ? うっざ……やかましいねん」
 悪態をつくくせに、治の唇がもう一度、侑のそれに重ねられる。今度は、口を開けてどちらからともなく舌を差し出して絡め合った。大好きな治の味。ほんの一日味わえなかっただけなのに、こんなにカラカラに渇いていたのか、というぐらいどれだけ舌をすり合わせても甘噛みしても吸い上げても足りない。治もきっと同じなのだろう。侑が刺激すれば同じだけ、下手をしたらそれを上回るぐらいにやり返してくるのがその証拠だ。
 夢中で貪り合って、ようやく治が離れていく。まだ足りない。侑は治の腰に手を回して引き戻した。
「なあ。キスだけなん?」
 もう一度キスしようとしたら、唇に治の手のひらが押し当てられた。指の間から不満を載せてじろりと治を見る。
「アホか、今から部活や。何サカってんねん」
「こんなとこ連れ込んでキスしてきたん、サムやんか。そっちが悪いんちゃうん」
「うっさいな、後や、後。はよ行くで、部活始まってまう」
「後って何? 帰ったらええよってこと!? なあ!」
 治は振り返らない。しかし、体育準備室から明るい体育館の下に出た瞬間、耳が真っ赤になっているのが見えてしまった。侑はフッと息を漏らして笑った。かわいいやつだ。

「やっぱ、生まれる前からずっと一緒におるせいかなあ。サムと口きかんかったら、一日調子出えへんわ」
 振り返った治が意外そうに目をまるくする。それから少し赤らんだ顔をくしゃくしゃにして、太陽みたいにまぶしく笑った。
「まあな」

 治とは、生まれる前から一緒にいる。物心つく頃から一緒とか、家族ぐるみの付き合いとか、ひとの話を聞くたびに「そんなもんがなんぼのもんじゃい」と思う。侑と治は母の腹の中からずっと一緒の、正真正銘の兄弟であり家族で、かけがえのない存在だ。

 何百回、何千回と喧嘩をしても、最後はこうして仲直りをして笑い合う。きっとこれから先の人生においても、どんな関係よりも強くて誰より互いを理解し愛している、大事な大事な片割れだ。


2022.06.13