nakaminai

モブくんの初恋は同級生の男の子

 稲荷崎高校に入学して一年が経った。
 この学校を選んだ理由は、距離がちょうど良かった。小学校中学校といい思い出も、仲の良い友達もできず、地元から離れた学校に進学したかった。かといって遠すぎると通学が大変だ。早起きは嫌いだし。だから近すぎず遠すぎない学校がよかった――その条件にいちばん近かったのが稲荷崎高校だ。
 条件的に最適だったもののこの学校はスポーツ系の部活がさかんで、必然的に生徒も体育会系が多かった。つまり、陰キャの俺とは正反対の人間がわんさかいた。高校でも馴染める気がしないまま一年を過ごし、クラス替えをした。クラスメイトが変わったところで、どうせ今年も誰とも仲良くなれないのだろうと思っていた。あと二年。あと二年我慢したら、学校生活から解放される。ただただ耐えるのみだ。

「およっ、モブくん髪切った?」
 高校に入って、先生以外から数えるほどしか名前を呼ばれたことなんてないから、驚いてびくっと肩をすくませる。長い前髪の隙間からおそるおそる目を上げると、前の席に座った銀髪のチャラそうな同級生が目をまるくして俺を見つめていた。
 彼は宮治。スポーツ万能、背は高い、顔もいい、しゃべりも気さくで面白い。双子の兄弟が隣のクラスにいるらしく、ふたり揃ってバレー部のレギュラーという、スクールカースト最上位の男だ。カースト最底辺の俺とは正反対も正反対の男なのだから、彼の視界に俺が存在することも、ましてや彼と話す機会なんて金輪際ないと思っていた。彼の問いかけの意味に理解が追い付かないまま、俺はぎこちなくうなずく。
「え、あ、うん……」
「やっぱりな。似合とるわ。ええやん、ええやん」
 こんな伸び放題の前髪なのに、髪切ったわけないやん! 適当すぎるやろ! と思うのに、なにより彼が俺に話しかけてくれることがなんだかうれしくて、やはり俺は言葉少なに頷くことしかできない。
「治、いじめんなよ。かわいそうじゃん」
 隣でからかうように口角を上げて長い脚を投げ出しているのは角名倫太郎。たしかこいつもバレー部だ。関西弁に囲まれて過ごしているわりに未だに標準語(なのだろうか)を崩さない、すかした奴だ。
「いじめてへんし! なあ?」
 宮くんが首を傾けて俺の顔をのぞきこむ。慌てて頷くと、「ほらな」と宮くんが勝ち誇ったように笑って角名を見る。そこで休み時間が終わるチャイムが鳴り、宮くんは「だるー」とため息を吐き出しながら自分の席へ戻っていった。

 宮くん。
 宮治くん。
 どうして俺はこんなに、治くんのことを考えてしまうのだろう。教室で誰とでも楽しそうにしゃべっている姿、昼休みはあまり教室にいないけれど、たまにいたと思えば購買で買ってきたであろうパンを幸せそうに次々飲み込んでいく姿。気が付けば授業中でさえ一番前の端っこの席で机に突っ伏している治くんのまるまった背中を見つめてしまう。なんなら下校中や帰宅してから、治くんが視界にいない時でさえ、俺は治くんの姿をまぶたの裏に思い描いていた。いままでむかつくやつを思い浮かべて眠れなくなることはあれど、こんなふうに他人のことを考えることなんてなかった。寝ても覚めても、治くんが俺に向ける優しくてかわいくて甘い笑顔ばかりが浮かんで消えてまた浮かぶ。
 ベッドに寝そべっていた俺はがばりとからだを起こし、妹に借りっぱなしの少女漫画をクローゼットから引っ張り出した。登場人物の気持ちがだれひとり理解できなくてつまらなくて積んでいた漫画。俺はぱらぱらとページをめくった。主人公の女子が頬を染め、顔の半分はあるような大きな目をキラキラさせて、イケメン同級生の笑顔にときめいて、背景に大輪の花が咲き乱れて、「トクン……」なんてオノマトペ。ああ、これか。

 俺はもしかしなくても、治くんのことが好きなのだろうか。

 それからは、なんだか毎日ふわふわしていた。朝起きて、学校に向かう足取りが軽い。いつもは鉛のように重かったのに。だって学校に行けば、治くんがいる。たったそれだけのことで、羽根のようにからだが軽い。あんなに嫌いだった学校に一歩近づくごとに、胸の高鳴りが大きくなる。今日は治くんに「おはよう」と声をかけてもらえるだろうか。あわよくば、そのまま雑談できちゃったりするだろうか。

 しかし、俺に初めて訪れたあたたかな春の空が曇るのは早かった。
「治くんってさ、彼女おるん?」
 2限目の後の休み時間、治くんの席を囲むクラスメイトの男女。治くんばかりを眺めていた俺の耳に、女子の発した質問がしっかりと聞こえてきた。ドキリ。しかし考えてみれば、治くんはスクールカーストの頂点にいる男だ。彼女がいてもおかしくないというか、いないほうがおかしいのでは? そこでようやく、浮かれまくっていた俺の視界がぐらつく。いないって言ってくれ。半ば祈るようにして、治くんの返事を待つ。
「え、なんでそんなん聞くん」
「いや、治くんモテるやん? てかすでにちがう学校にもファンおるらしいやん」
「マジで? 治やばいやん! やっぱ全国区の部活のレギュラーはちゃうなあ。かわいい子おる?」
「知らん知らん。彼女なんかおらへん」
「えーホンマにぃ? 2、3人おっても驚かへんから正直に言えや」
「おらへんて。もー、ええやんどうでも」
「何それ、怪しー」
 けらけら盛り上がるクラスメイトをよそに、ふっと顔を背けて後頭部を触る治くんの困ったような、鬱陶しそうな、触れられたくなさそうな横顔に、どこか違和感を感じる。

 え、もしかして、ホンマにおるん……? 何人おるん??

 自分でもびっくりするぐらいに気分が悪かった。内臓が全部ひっくり返ったみたいな不快感に、俺は慌てて席を立った。何年ぶりか、トイレでげえげえ吐いた。頭は痛いしガンガンするし、からだは鉛みたいに重い。トイレを出た俺は教室には戻らず、ふらふら、壁に手をつきながら保健室に向かった。

「微熱やねえ。しばらくベッドで寝て様子見よか」
 保健室の先生は体温計をアルコールで拭きながら言った。
「窓際のベッドあったかいで」
 促されるまま、3つ並んでいるうちの窓際のベッドに入る。壁側に枕があって、そろそろと頭を載せると、先生が肩まで掛け布団をかけてくれて、窓のカーテンを丁寧に閉めた。遮光性が高いようで、照明の消えているベッドのスペースは一気に薄暗くなった。
「先生ちょっと出なあかんから外すけど、寝とってええから。誰か来ても無視してええからね。たぶん昼休みまでには戻ってくるし、そんときもう一回熱測ってみよか」
 先生は俺が頷くのを確認して、ベッドを囲うようにL字に取り付けられたクリーム色の薄いカーテンを閉めた。入り口の扉が開き、音もなくそっと閉まった。
 おとなしく布団を首までかぶって深呼吸をする。病院に似た、薬品くさい、清潔なにおい。
 静まり返ったひとりきりの保健室。うるさい教室とはまったく違うこの空間でも、俺は治くんのことを考えていた。治くんは、俺が教室にいないことに気づいて心配してくれるだろうか。様子を見に来てくれたりして、大丈夫? って声かけてくれたりして、おでこを撫でてくれたりして。にまにまと妄想を広げていたものの、はっと思い出す。さっきの治くんの反応。本当のところはどうなのだろう。彼女がいるのかもしれない。もしそうだったら、それって、俺は失恋したってことになるんだろうか――。そこまで考えて、からだがますます重くなる。目の奥が熱い。頭が痛い。嫌だ、治くん、彼女なんかおらへんよ、実は俺、モブくんのことが好きやねんって言うて、俺だけのものになってほしいのに――。

 ――ガラッ。
 扉がひらく音。俺は無意識に身を隠すように布団を頭までかぶって息を潜めた。すぐに扉が閉まる。誰? 先生? いや、こんなすぐ帰ってくるはずないし、先生やったらなにか声をかけてくれるはずだ。誰や。サボりか?
 ぺたぺたとスリッパを引きずる音が複数。ひとりではない。足音はちょうど俺の横――カーテンを隔てた向こうで止まった。
「大丈夫なん?」
「!」
 聞き間違えるはずがない。
 治くんの声だ。思わずそろりと布団をめくって顔を出す。カーテンに囲われた空間には、俺以外に誰もいない。
 カーテンの向こう側にいる、治くんが。
 応えようかと悩んでいるうちに、軽薄な声が挟まれた。
「大丈夫大丈夫、大したことないし」
「は? 大したことないんやったら保健室来んでええやん」
「いや、保健室来なあかんレベルのなかでは大したことないって意味やんか」
「意味わからへん。ってかなんでクラスちがうのに俺が付き添わなあかんねん」
「ええやん、サム、なんや鬱陶しい豚に絡まれて困っとったやん。ちょうどよかったやろ」
『サム』というのは治くんのことのようだ。さっき、教室でクラスメイトに彼女の詮索をされていたときの話だろう。
「別に困ってへんかったわ。……俺教室戻るで」
「なんでえ? ええやん、せっかくやし一緒に休もうや。もう授業始まっとるし、ちょうど誰もおらへんし」
「ちょうど誰もおらんってなんなん」
「フッフ、わかっとるくせに」
「おいっ……は、んむ」
 含み笑いをする相手を咎めるような治くんの声と同時に、ギシッとベッドが大きく軋む音がしたと思ったら、衣擦れの音。それからはっはっ、はあはあと荒い呼吸と、合間合間にじゅるっと何かをすするような水音。
「サム、はふ……」
「っこら、ツ、ム、はぁ、っんん、んふ……」
 治くんの声。俺に投げかけられる声よりずっとずっと甘い、馬鹿みたいにどろどろに甘ったるい声。こんな声で「こら」なんて咎められたところで、治くんが本当は喜んでいることなんてバレバレだ。
 寝返りを打ってからだを起こし、隣のベッドに面したカーテンに震える手をそろりそろりと伸ばす。心臓の鼓動が徐々に速まる。心臓の音が隣のベッドにも聞こえてしまうんじゃないかと思うぐらい、うるさかった。
「ぷは……っアホ、誰か来たらどないすんねん」
「フッフ、ちゃあんと鍵閉めたで」
「……先生とか、鍵持っとるやろ」
「まあ、鍵閉まっとったら時間稼ぎにはなるやろ」
「あー……」
「な? ええやろ。しよ。誰か来たらやめるし」
「……」
「もー、サムのそのムッとしとるときの口、かわええなあ」
「ん、はふ……」
 ちゅ、ちゅと肌に吸い付くリップ音が耳をねぶる。ぶるぶると震える手でカーテンの端をつまんで、そうっと、壁とカーテンの隙間をのぞく。あ! と飛び出しそうになった声を飲み込んで、目を大きく見開いた。
 ベッドの上で仰向けになっている銀髪の治くんと、その上に覆いかぶさって治くんのひらいた唇からのぞいた濡れた赤い舌を吸う金髪の男。治くんとよく似た横顔の男は間違いなく、治くんの双子の兄弟だ。そういえば、休み時間によく治くんのところに来ていて、角名も一緒になってよくしゃべっているのを見る。そう、確か「侑」だ。宮侑。
 瓜二つの顔を見れば双子の兄弟であることは一目瞭然なのに、いま俺の目の前で繰り広げられている光景はとても兄弟の戯れとは思えない。角度を変えながら深いキスに夢中になっている治くんの恍惚とした横顔は、とても淫靡だ。閉じられたまぶたが時折薄く開いて、とろとろにとろけた瞳で侑を見つめている。まるでエロ動画を見ているような気分で目が離せなかった。侑が唇を離してからだを起こすと治くんも追いかけるように上半身を起こした。ふたりして邪魔くさそうに脱いだジャケットをベッドの足元の方に放り投げ、今度は治くんから甘えるように侑にキスをする。
 眩暈がした。俺が何度も妄想の中で見たいやらしい顔で、治くんは侑だけを見つめている。今にも侑に掴み掛かりたいぐらいの衝動を抑えながら唇を噛み締める。侑がうれしそうに小さく笑って、キスを返しながら治くんのシャツのボタンを外していく。侑は治くんの頬にあご、のどと順番にキスを落とし、治くんは侑の頭を引き寄せながら、ベッドに倒れ込んだ。調子に乗った侑が、シャツのボタンは全部外したくせに首に結ばれたネクタイを避けて治くんの胸に顔を伏せる。
「んっ」
 ちゅぶっと水と空気が混じった音がして、きっと侑が治くんの肌を吸い上げたのだと想像する。治くんはぴくっと眉根が寄せ、侑のばかみたいな金髪を抱きしめながら喉を反らしてからだを波打たせる。目をきゅっと閉じ、「ん」とか「はあ」とか鼻から抜けるような甘ったるい吐息。カーテンの隙間からは顔ぐらいしか見えないのに、エッチだ。首から下も見たいけれど、あんまり近づいたりカーテンを開けすぎたりして気づかれたら困る。まばたきする時間さえ惜しくて、俺は治くんの顔を食い入るように見ていた。
「フッフ、かわええ」
「は、ふ……」
 侑がころりと笑って、治くんの唇にまた吸い付く。ちゅくちゅくと水音が生々しく響く。
「ハンドクリームでいけるよな?」
「あー」
 いけるって、ナニが? 頭に浮かんだものをどこか思考の彼方に押し流すようにそうっと生唾を飲み込む。カチャカチャ音がして、治くんの裸の膝が順番に視界に入り、ズボンを脱いだのだと悟る。たぶん、ついでに下着も。じゃあ、いま治くんの格好は袖を通しただけのはだけたシャツの襟をネクタイで留められ、靴下を履いているだけということなのか。エッチすぎる。俺もその絶景を見下ろしたい。侑とポジションを入れ替われたらいいのに。
「しっかり勃っとるやん」
「やかましな、お前もやろ。そんなに挿れたいん」
「そら挿れたいに決まっとるやろ。サムも素直に言うてええんやで、『俺の大好きなツムのちんぽはよ挿れて』って」
「アホちゃう」
「待ってなあ、さすがに解さんと入らへんからな。ほな挿れるでー」
 侑が鼻唄でも歌い出しそうな上機嫌な声で治くんに言うと、治くんがぴくっと眉根を寄せてくちびるを噛んだ。
「痛い?」
 侑の問いかけに、治くんはふるふると首を振った。
「最初、指挿れる瞬間が慣れへんだけや……」
 治くんが恥ずかしそうに頬を染める。その表情に、俺の下半身がまたズンと重くなる。
「そっかー。でもくちびる噛んだらあかんで」
 侑が上半身を屈めて治くんのくちびるにキスをする。治くんはおとなしくどころか、幸せそうにそれを受け入れて、なんなら自分から口をひらいて舌を出し、深いキスをねだっていた。どんどん苦しくなる下半身がいよいよ耐えられなくなり、音をたてないようそろりとズボンの前をくつろげた。
 侑に促されるまま治くんはうつぶせになって、俺と反対側に顔を向けた。カーテンの隙間からのこの角度では、残念ながら治くんの後頭部とシーツに縋りつくように握られた拳を見つめるしかない。
「なあ、よう考えたら、ゴムないで」
 ゴム。それが輪ゴムのことではなくて避妊具、コンドームのことであると理解するまでに少し時間がかかった。こんな生々しい単語が治くんの声で平然と紡がれるなんて、思わなかったのだ。
「んー? ……フッフ。あるんですわ、これが」
「なんであんねん。最初っからヤる気やったんか、エロツム」
「ちゃうねん、たまたまポッケに入っとったんやん、2つ。サムも着けたるな。シーツ汚さんで済むし」
 そんなたまたまがあってたまるか! と叫びたいのを生唾ごと飲み込む。侑のことは嫌いだしむかつくけれど、ある意味、この状況をつくったわけだから、不本意ながら感謝の気持ちもあるのだ。

「ほな挿れるで」
 侑の言葉に、治くんもこくっと頷く。俺のちんこはかわいそうに、収まるところもないから手のなかでぱんぱんに硬くなっているだけだ。
「ん、おい、その、先っぽ、擦りつけるんやめろや」
 治くんが振り返って背後の侑に訴えるが、侑は楽しそうに笑った。
「なんで? フッフ、これしたらサムがじれったそうに腰揺らすからええんやん」
「はよ挿れろって!」
「はいはい」
 治くんがびくと肩をすくめて、シーツを握り締める。
「あっ……あぁ、ん……」
「もうちょい……、大丈夫か、サム?」
「ん、んん……」
 治くんが苦しそうにうなずく。やはり男同士のセックスは女のまんこにちんこをつるっと突っ込むようにはいかないのだろう(AVでしか見たことがないけれど)。しかし、苦しそうに喘ぎながらもからだを繋げる治くんにいま、正直、めちゃくちゃに興奮している。治くんの顔の横に侑が片手を置くと、治くんのうなじにキスをして額をこすりつけながら安堵したようにはー、と深く息を吐き出した。
「あ、……はあ、入った……な、いつもより、きつない? 学校やから、興奮しとる?」
「っ……はあ? してへん……」
「うそお……めっちゃ締めつけてきとるやん……でも、わかるわー、学校って、しかも保健室って、なんか、ヤバイな、背徳感? みたいな。あかんとこでえっちなことするん、ヤバイわー。今度部室でするか? 北さんにバレたら切腹やなあ」
「もお、うっさいねん、ボケ……っ!」
 治くんが身を捩って侑の腕をぺしんと軽く叩き、「あたっ」と小さな悲鳴があがる。
「はよ動けや、誰か来る前にはよイけ」
「まあ、それもそうやなあ。途中で止めるんとか嫌やし……てか無理な気ぃする」
「アホ、誰か来たら絶対止めろよ」
「どうやろなあ……」
 シーツの上でうつぶせになった治くんのからだが、ゆらゆらと前後に揺れ始めた。治くんは俺と反対側を向いているから顔は見えないけれど、はっ、はっと浅くて熱っぽい息を吐き出しているのが聞こえる。侑の手が治くんの耳を触って、頭を撫でる。
「っあー、サム、きもちええ……っ」
「ふ……お、れも、きもちっ……」
 からだと一緒に揺すられるうわずった声が、とろとろに溶けて耳に絡みつく。下半身で凝り固まったものがびりびりと痺れるような、あまりの熱さで溶かされるような、不思議な気持ちいい刺激。俺は治くんのからだが揺れるリズムに合わせて、ちんこを扱いた。
「フッフ、サムは、ツムのちんぽが大好きやもんなあ」
「ん、っ……あ、ぅん、そう、好きっ、ツムの、ちんぽ……」
「ええ? そうなん、っはー、エッロ……なあ、やっぱこっちがええ」
 侑は治くんの肩を掴むと、ころんと治くんのからだを仰向けにひっくり返した。一旦抜いたものをまた挿入したのだろう、治くんが喉を反らして「アッ」と短く高い声をあげる。
「ツム……っ!」
「顔がちゃあんと見えるほうがええやろ?」
 腰を打ち付けながら、治くんに顔を近づけて、侑が嬉しそうに笑みを浮かべて上くちびるを舐める。ツム、という侑の愛称が出てくる度に俺は萎えているわけだが(実際、気持ちは萎えてもちんこは全然萎えないのが不思議だけれど)。ふとした瞬間、治くんが甲高い声をあげた。
「あ、あ! そこ、そこ、やばっ、……っ」
「ここ? ここやろ、サムはここ好きやもんなあ、っ」
「あ、ツムっ、あ、やばい、そこあかんんっ……」
「ええよ、イって……っ」
 侑ばかりを見上げていた治くんが身もだえながら首を横に向けて、シーツに頬を擦りつける。ああ、やっと治くんの顔が正面から見れた。
「っ……く、イく、イっ……――!?」
 治くんが大きく目を見開いて、あられもない声を遠慮なく垂れ流していた口を手でふさぐ。治くんの目がこっちを見ていて――見ていて?

 あれっ?
 もしかして、もしかしなくても、俺はいま、治くんと目が合っている――。

「っは、サム、俺もイくっ……!」
「っ……! ん、んんっ、ふぅー……!」
 治くんが侑を見上げて、自分の口を手で覆ったまま、涙目でふるふると首を振る。それから彼は、すがるように、懇願するように俺を見た。「助けて」と言っているのかな、「見ないで」と言っているのかな。まあ、普通に「見ないで」かな。めちゃくちゃにガン見してしまっているけれど。ここまできて、治くんのイキ顔を見ないわけがない。
 侑が息を詰めて、治くんもきゅっと目を閉じて涙をあふれさせ、胸を反らせて一瞬からだを強張らせた。イったのだ。俺もまた、ほとんど同時に自分の手のなかで絶頂を迎えた。
「あー……やば……きもちー……」
「んっ……ん」
 治くんが、ゆっくり何度か突き上げるように揺すられるのに合わせて甘ったるい声を漏らす。治くんは俺から顔を背けてしまっていて、ぱさりぱさりと揺れる銀髪を眺めながら、俺はそろりとカーテンから離れてベッドの上に座りこんだ。終わった。ふわふわしたまま、ポケットに入っていたティッシュを数枚取って汚れた性器と手を拭い、ベッドに入って天井をぼんやりと眺めた。頭のなかは真っ白だった。
 しかしそれでも、隣の声ははっきりと聞こえてくる。
「……喉渇いた……」
 口をひらいたのは治くんだった。
「んー、水買い行く?」
「テメェが買ってこいや。労われ」
「なんやねん、さっきまでアンアン言うとったくせに……俺、体調悪いんやぞ」
 侑の不服そうな声。治くんはうんざりしたように吐き捨てた。
「いつまでその設定引きずってんねん」
「治クンは早くも忘れてしもたんかもしれんけどな、さっきはツムのちんぽ――」
「! うっっさいねん、はよ行けボケ!」
「わかりましたあー」
 侑がやけくそみたいな声をあげた。ぺたぺたとスリッパを引きずる音が遠ざかっていく。ガラッと扉がひらいて、また閉まる音。保健室はしんと静まり返っていた。
 
 よくよく考えたら、いや、考えなくても、いまこの空間には俺と治くんのふたりきり。カーテンの向こうには治くんがひとり、熱の冷めきらないだろうからだを横たえているのだ。想像すると、また心臓がバクバクと暴れ始め、俺のからだの中心はまたグンと芯を持ち始めていた。
 
「なあ、モブくん」
「!」
 突然名前を呼ばれ、全身が硬直する。ここで返事をしていいものか。いや、さっき目が合ったはずだし、ほとんど100%俺がいることはばれているのだから、今更いないふりをしても無駄だろう。でも――と考えているうちに、再び治くんの声。
「モブくん、おるやろ」
 俺は観念してからだを起こし、そろりとカーテンの端を掴んだ。カーテンを開きかけて、一応「開けていい?」と声をかけた。
「おん、開ける」
 掴んでいたカーテンがシャッと勢いよく開けられて、目の前にきちんとズボンを穿いてベルトも締めて、シャツのボタンもいちばん上しか開いてない治くんが現れた。ちゃんと服を着ているけれど、頬にはまだほてりが残り、たちのぼる空気はどこか淫靡だった。治くんを見上げて、俺は思わずカーテンを引き寄せてからだを隠した。だって、俺の下半身は治くんの痴態を思い出してテントを張っていたから隠すしかないのだ。
「……ご、めん、治くん、あの、俺……」
 俺は目を泳がせて、しどろもどろに謝った。けれど、治くんも同じぐらい、珍しくしどろもどろだった。でもあんなところを見られたのだから、それも当然かもしれない。
「あー、いや、俺……も、俺のほうが、気づかんかったん、悪いし……ごめん、横で、あの、アレや、なんか……。あ、なあ、さっきの、黙っとってくれる……やんな?」
 治くんがおずおずと俺を見る。俺はこくこくと頷いた。
「も、もちろん!」
「よかったあ! やっぱ持つべきもんは友達やあ」
 治くんが赤らんだ頬を緩め、太い眉をハの字に下げてふにゃりと笑う。前髪で半分以上隠れた笑顔を引きつらせて、俺は腰を引いて膝をすり合わせた。
 友達。そう、俺は治くんにとってただの「友達」なのだ。むしろ、俺が彼と友達になれたことすらも奇跡だ。治くんに友達と認識されていることがうれしいはずなのに、胸のなかは「悲しい」とか「怒り」とか「失望」とか「性欲」とか「興奮」とか、いろんなものでグチャグチャだった。
「うん! と、友達……!」
 俺にはその一言を絞り出すので精いっぱいだった。治くんは満足そうに頷いてから、ポケットからスマートフォンを取り出して画面を見て眉を寄せた。
「あー、俺、行くわ。モブくんもお大事に。具合悪いのに邪魔してごめんな。しんどかったら帰りや」
 たぶん、侑からのメッセージだったのだろう。そして彼はきっと侑のところに行くのだ。俺が頷くと、治くんはにこりと笑って保健室を出て行った。
 
 
 
【悲報】初恋のひとには彼氏がいて、しかもそれは初恋のひとの双子の兄弟で、しかもセックスの現場に居合わせてしまった。草草草。
 
 匿名掲示板に書き込もうかな。誰かこのばらばらに砕けた恋心を供養してくれるだろうか。
 あー、最悪。涙も出ない。代わりにこんな時でも精液は出る。ひとり残された保健室で、俺は侑に抱かれて乱れる治くんの姿を思い出しながら一心不乱にオナニーした。最悪。最悪なのに、その夜も自室のベッドでくしゃくしゃにまるめたティッシュを量産してしまった。最低で最悪だ。

 翌日からも、当たり前だけど治くんは俺と同じ教室で、相変わらず誰とでも楽しそうにしゃべって、無邪気な笑顔を浮かべている。相変わらず陰キャの俺にも、たまに話しかけてくれる。あの日保健室で侑に抱かれてどろどろにとろけていた姿を見たのは夢だったのか? と思うほど彼ははつらつとして清廉で、性のにおいなんて感じさせない。ただ、俺に見られてしまったせいか、侑が教室に来たときはほんの一瞬顔をこわばらせるようになった、ような気がする。心配しなくても俺は誰にも言わないよ、と思いながら俺はふいと治くんから目を逸らし、窓の外を見る。くすぶっていぶされた俺の心とは反対にすがすがしく晴れ渡った空は真っ青で、ひやりと冷たい風が吹き込んできた。
 
 いまになって思うのは、あのとき、せっかく握った治くんの弱味だったんだから、エロ同人みたいに「ばらされたくなかったら言うこと聞いてもらおうか」なんて言っていれば、俺も治くんとセックスできたんだろうか――なんて、ばかみたいなこと。ほんの少し後悔しているけれど、治くんを見ればわかる。彼は本当に、血の繋がった兄弟であるはずの侑のことが好きで、心の底から愛しているのだ。そんな治くんを無理やりヤらせてもらったところで、きっと俺はむなしいだけだろう。だから、よかったのだ、これで。そうやって、言い聞かせるしかないじゃないか。
 
 
 
 さようなら、俺の忘れられない初恋のひと。
 でもこれからも俺の下で乱れる妄想の君をオカズにする日々は続きそうです。ごめんなさい。


2022.02.13